デザイナーだった頃に、「エンジニアリングには正解がある。しかし、デザインには正解がない」という言説を耳にすることがあった。
意味合いとしては、何を作るかという意味において、正解があるかないかということだ。
もちろん、研究開発などは除いた話で、事業会社でインハウスのエンジニアとして行うエンジニアリングを指している。
ひとつの見方としては、確かにそうだ。たいていの場合、何を作るかは、いわゆる要件定義と言われる実装より前段階で決められる。
昨今の、UXデザインプロセスを実施しているような企業であれば、デザインプロセスもその中に含まれるだろう。
正確には「何を作るかを決める」という意味においては、確かにそうかもしれないが、それは関心ごとのレイヤーが違うだけだと考える。
ここでデザインの話に戻るが、デザイナーの言う「デザインには正解がない」とは、そもそも何を作るべきか、から考えなければならないから、ということだ。
しかし、果たしてそうだろうか。
一見すると正解のない問いに向き合っているように見えても、会社員として働いている以上は、多くの場合その上段で暗黙的に課題は設定されている。
その暗黙的な課題をブレークダウンしたものを受け取っていて、それをどうデザインという名の「SketchやPhotoshopを使ってビジュアルに落とし込むか」という話でしかなくなってしまっているのではないか。
つまり、本当に正解のない課題にゼロから取り組みたいのであれば、自分で起業するか、最上段の経営レイヤーに行くしかない。
例えば、ロゴデザインは「ロゴを作るという正解が与えられている」と言われた時に、いや、そういうことではない。とデザイナーなら反論する。
ロゴを作るということは、会社の理念や想いという抽象的な概念をどのようにシンボルに落とし込むのか。それをどういうプロセスで行うのか。正解はないと言うだろう。
話が飛躍し過ぎていると思われたかもしれないが、わたしが「エンジニアリングには与えられた正解があり、デザインには正解がない」のは違うと思うのも、これと同じことなのだ。
要するに、正解があるように見えるのは特定の見方をすればそうだが、それは関心ごとのレイヤーが違うからそう思えるだけなのだ。
先ほどのロゴデザインの例をエンジニアリングにも当てはめてみよう。
そもそも何を作るべきかという観点では、確かにエンジニアリングでは、仕様という形で正解が与えられている。
しかし、そんなものがあったところで「正解は分かっているから、後はただ作るだけだね」とはならない。
もしそんな簡単な話であれば、エンジニアという職業に面白みを感じて、続ける人は今よりもずっと少ないだろう。
実際には、どう実現するかというところには特定の正解はなく、システムそのものの知識を初めとして、事業の理解など複数のコンテキストを加味して導き出している。
デザインと同様に、非常に創造的なプロセスを行なっている。
プログラミングだけを抜き出して考えると、デザインパターンをはじめ、特に枯れた技術であれば、ベストプラクティスはだいたい固まっている。
しかし、前述したように、それは一つの側面に過ぎないのだ。だからこそ、エンジニアリングの知識がない人から見れば、正解は与えられていて、後はただ黙々と作るだけに見えてしまうのだろう。
デザインの知識がない人が、同じようにそう見るように。
ロゴデザインの例にもうひとつ加えると、バナーなどのビジュアル制作にも同じことが言える。
デザイナーにも、事業に興味がありデザインはあくまでも手段というタイプと、デザインの技術そのものが好きなタイプが存在する。
前者であれば、バナー制作はまさしく正解(CVRや認知向上など)の与えられた仕事であり、つまらないと思うかもしれない。
一方で、フォントや文字詰めが大好きなデザイナーがいて、彼らは文字詰めの中に「正解のない問い」を見出し、それに取り組む。
文字詰めは、グラフィックデザインを学んできたデザイナーからすれば大切で奥深い作業だが、それを実際にやってこなかった人が共感するのは難しい。
つまり、繰り返しになるが、正解がある、ないという話ではない。特定の側面から見れば正解があるように見えたり、ないように見えたりする分野がある。
そして、それは多くの場合、関心ごとのレイヤーがただ異なるというだけなのだ。もちろん、どちらが優れている、劣っているというわけでもない。
ただし、会社員としてビジネスに取り組んでいる以上は、事業的な文脈において「正解のないこと」に取り組む人の方が評価はされやすいだろう。
この場合、「どう文字詰めをするか」「どう実装するか」を考える人よりも、「そもそもどんなプロダクトを作るべきか」「どんな組織を作るべきか」という人の方が重宝はされる。
会社というのは、大前提として商売を行うことで利益を出すことを存在理由としているため、そこから接続される形で、偉い、偉くないが発生するのは当たり前のことだ。
だからこそ、それを理解した上で分けて考えることができれば、スッキリと自分のスタンスを決めることはできるだろう。