Tortoise Shell

Webサービスの会社で働くエンジニアが、デザインやプログラミング、ライフハックについてゆるく書くブログです。

スーツは宗教である

大学4年の夏。就職活動をしていたとき、スーツで面接に向かいながら、自分はどうしてこんな格好をしなければならないのかと思った。

高温多湿な日本の気候に、スーツはどう考えても適していない。だからといって、あえて反抗することもなく、周りもそうだからと、それ以上疑問を深掘ることもなく就職活動を終えた。

しかも、いざ社会に出てみると、それ以降スーツを着ることはほぼ無かったのだ。

なぜこんな話をするのかというと、今日は記録的な暑さだったとニュースで言っていて、それが風呂でぼーっとしている時にスーツの記憶と結びついたのかもしれない。

こんな暑い日でも、スーツで勤務しなければならない人が大勢いるのだろうと。

しかし、スーツに対する反抗心があった20代前半を過ぎ、ほんの少し賢くなった今となっては、別の考えが頭に浮かぶ。

そうか、スーツは宗教だったのか。

一昨年「サピエンス前史」という本の中で、ホモ・サピエンスは虚構の力によって団結し、生態系の頂点に立った。みたいなことが書かれていた。 

虚構とは、要するに概念のことで、それには宗教や資本主義といったイデオロギーも含まれるとのことだ。

虚構の力というのは、物理的な何かというよりも、虚構を信じる能力のことだ。

ちょうどわたしたちが、目の前にある1万円札を見て、この紙切れには価値があるのだとみんなで仲良く信じる力のことだ。

この能力のおかげで、大勢の人が一致団結したり、物事(例えば経済とか)を効率的に動かしたりできる。

スーツも同じだ。虚構と聞くと、中身がすっからかんみたいな、ネガティブなイメージを持つかもしれないが、そうではない。

要するに、スーツを着ることによって、大勢の人が「ちゃんとした格好をしている」という虚構を信じていることが重要なのだ。

だから、日本の夏には合わないだとか、日本人の体系に合っていないだとか、そんなことはどうだっていいのだ。

そもそも、合理的な観点だけで語ろうとすることがナンセンスと言っていい。

学生時代のわたしは、スーツが宗教だということも、人は必ずしも合理性だけで動く生き物ではないと理解していなかった。

このシステムを覆すことは難しい。いくら合理的でなかったとしても、既にスーツが「ちゃんとした格好」だというプロトコルが築かれており、それは長きにわたって運用されているシステムなのだ。

それこそ、昨今リモートワークが普及したように、相当な外圧がなければ変わることはないだろう。

さて、今回の記事で何が言いたかったのかというと、決してスーツを貶める目的ではない。

冒頭にも述べたように、ただ頭に浮かんできたということと、今回の「スーツは宗教でである」という考えた方を発展させていくと、世の中には様々な宗教が溢れているなと思う。

宗教というと、教義や経典があって、神様がいて、立派な建物を想像するが、おそらく表面的なものでしかない。

さすがに、宗教の本質について語れる知識はないのだが、宗教とはつまるところ何なのか。あるいは、身の回りにどんな宗教があるだろうか。自分が意識せず信じている宗教はあるだろうか。

そんなことをふと考えてみるのも、なかなか面白いものなので、ぜひ試してみてほしいということだった。