仕事をしていて、新しいツールや手法を取り入れるために、提案することがあるかもしれない。
その時、自分では良いことと思っていても、周囲の理解を得られなければ前に進めることはできない。
反対された時に、どうして分かってくれないのかと怒ったり、簡単に折れてしまったのではもったいない。
情熱にしたがって物事を推進するのは大事だが、時には人や組織の特性を理解し、賢く振る舞うのも必要だ。
組織の文化や規模(チーム単位・部署単位など)によって、当然アプローチも異なるのだが、わたしが気をつけていることを言語化しようと思う。
背景を知る
新しいことを取り入れようとするとき、やりがちなアンチパターンとしては、背景を理解せずに現状をただ否定することだ。
目の前の現象で判断するのではなく、このような結果がもたらされる、構造的な原因を突き止めなければならない。
このあたりの考え方は、U理論が参考になった。
一見すると非効率に思えることでも、自分が知らない事情があるのかもしれない、と想像を巡らせてみよう。
ここで、話が通じない人たちだ。自分は提案したのに受け入れられなかった。といじけてしまうのは惜しい。
信頼関係を作る
誰が言ったかではなく、何を言ったかで判断しよう。
健全な現場であれば、このようなスタンスが明文化されており、心理的安全性の高い状態で提案しやすいと思う。
一方で、本人たちすらも気付かない、本音と建前も存在する。
実際には、やはり「誰が言ったか」は、とても重要視される。ほとんどの人は、発言者との信頼関係に影響されるからだ。
現実には、何かを提案するにしても、まず信頼関係を築かなくては土俵にすら上がれない。
何事も、まずは相手を理解することから始めよう
相手に寄り添う
あなたが新しいことを提案するとき、当然ながら、それが組織にとって良いことと確信を持ったからそうしているはずだ。
しかし、ただ自分がこう思って、絶対にこうした方がいいから。というだけでは、人を動かすことはできない。
相手の背景を知り、興味や関心ごとに理解を示し、寄り添っていることを行動で示す必要がある。
自分ではなく、あなたにとって、こんな良いことがあるのだと伝えよう。
相手の関心ごとに沿った提案ができるとベストだ。例えば「この前、〜という話をしていたけれど、こうすれば良いかもしれない」と、文脈に沿って話すのも良いだろう。
また、専門用語をなるべく使わないのも重要だ。人は、無意識に新しいことや変化を恐れてしまう。わたしもそうだ。
だから「何々(専門用語)という手法を導入しましょう」と言うのではなく、「こういう風にしたら上手くいくかもしれません」と、普遍的な言葉に言い換えて提案してみよう。
簡単に諦めない
冒頭で述べたことと矛盾するかもしれないが、何ごとも、理詰めだけでは綺麗にまとまらない。泥臭さも大事だ。
例えば、新しいツールの導入にしても、ハードルは沢山ある。金銭的なコストや、管理するコストや、そのほか理由を挙げればキリがないだろう。
しかし、そんなことは当たり前だ。全てにおいてそうだ。だから、ちょっと反対されたくらいで諦めるのはもったいない。
すぐにふてくされるのではなくて、あなたが本当にそうすべきだと思うのであれば、粘ってみるべきなのだ。
世の中に、コストがかからないものなど存在しない。要するに、コストに対する価値があると、ステークホルダーの理解を得られれば話は通る。
そのために何ができるのかを考えて、ひとつずつ実行しよう。
勝手に始める
乱暴に聞こえるかもしれないが、どうしても正攻法での突破が難しそうであれば、勝手に始めてしまうのも手だ。
本当に良い案なのであれば、あなたがやっているのを見て、勝手に人が集まってくる。
カイゼン・ジャーニーでも、似たようなことが述べられていたのを思い出す。
あなたが取り入れようとしている、新しいツールや手法を試すのに、最初からお金は必要だろうか?
ひょっとすると、最初は無料で試すことができたり、本家には劣るが手作りで実現できることがあるかもしれない。
もしそうなら、まずはコストをかけずに試してみて、無理矢理にでも事例を作ってしまうことも有効だ。
これまで周りを見てきて、なんだかんだで強引に「おらー!」と前に進める人が、最終的に勝ったりするものだと思った。
わたし自身も、衝突を恐れて、ついスマートにやりたいという気持ちを捨て切れない。しかし、時には衝突も厭わず推進する力も大切だ。
その時は、前述したように、相手の背景を理解して尊敬の念を忘れないようにしよう。
おわりに
偉そうに色々と書いてきたが、わたし自身、いつも上手くいっているわけではない。
絶対にこうした方が良いのにと思って提案しても、却下されたことは沢山ある。それは、わたしの考慮が足りていなかったのかもしれないし、アイデアが稚拙だったのかもしれない。
いずれにせよ、自分の提案が受け入れられなかったとしても、それでふてくされてはいけない。
決まったことは、ちゃんと受け入れる。後で「だから言ったのに。自分は元々そう思っていた」という後出しじゃんけんは無しにしよう。
本当にそう思っていたのなら、決して途中で折れずに、納得するまで提案すべきだったのだ。
これは自分を励ます意味でも書くのだが、それでも、提案するということは尊い。
どんなに稚拙でも、物事をより良くするアイデアを自分で考え、提案し、批評される側でい続けることは、立派なのだ。
あなたも、わたしも、くじけたくなることはあるかもしれないが、楽しくやっていこうではないか。