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Webサービスの会社で働くデザイナーが、デザインやライフハックについてゆるく書き連ねるブログです。

デザインと実装のずれ、という言葉への違和感

デザインと実装のずれ、という言葉に違和感を持っている。そもそもの認識をアップデートした方が良いのではないか。

デザインと実装のずれとは、デザインしたビジュアルに対して、実装が合わせられていない状態を指す。

つまり、基本的にはデザインしたビジュアルを是としており、仕様書として扱っている状態だろう。

しかし、デザインツールで作ったものは、あくまでも「こうできたらいいな」という青写真でしかないと思っている。

そもそも、デザインしたビジュアルと、本番環境での見た目を完全に一致させることはできない。

ブラウザによっても差異があるし、スマートフォンでも端末の種類によって、見え方はバラバラだからだ。

また、デザインしたビジュアルの地点では、実装観点での実現可能性は考慮されていないことに気をつけたい。

そもそも、UIデザイナーと呼ばれている人の95%は、UIデザインをしていない。

それに気が付いたのは、次の記事を目にしたことがきっかけだった。

UI トレースは何をトレースしているのか|ai|note

初めてこの記事を読んだときは、ものすごく衝撃を受けた。

同時に気が付いたのは、わたしを含めたUIデザイナーと呼ばれる人たちがやっているのは、正確には「UIデザインのためのデザイン」だったということだ。

つまり、厳密にはUIデザインをしているのはソフトウェアエンジニアで、UIデザイナーがやっているのは青写真を描いているだけだということだ。

そうだったとしても、UIデザイナーが「UIデザイン」と呼んで青写真を描く行為は、とても重要だと思っている。

目に見える青写真があることで、素早くアイデアを検証することができ、共通認識を産むことができるからだ。

しかし、あくまでもやっていることは青写真を描く行為で、UIデザインの全てを行っているわけではないと自覚していることは重要だ。

上の ai さんの記事にもあるように、UIデザイナーは、ソフトウェアをデザインする上でごく一部しか見えていないからだ。

ここで最初に話を戻すが、わたしが「デザインと実装のずれ」という言葉に違和感を覚えるのは、責任が分断されているように感じたからだ。

繰り返しになるが、UIデザイナーが「UIデザイン」と呼んでいるものは青写真でしかない。

デザインが終わったら知らんぷり。あとはエンジニアがどう実装するかの問題であって、UIデザイナーには関係ない、では済まされないのだ。

ドラマ「結婚できない男」で、主人公で建築家の桑野が、建設現場で「自分の設計と違う」と棟梁と取っ組み合いの喧嘩をするお約束のシーンを思い出した。

大工の棟梁は、桑野の設計を現場の状況に合わせて変更しているのだが、桑野にはいつも無断で行っていたので喧嘩になる。

上のシーンはとてもコミカルなものであったが、デザイナーとエンジニアは、取っ組み合いをする必要はないがコミュニケーションを取らなければならない。

デザインが終わったら知らんぷり、というのは、設計図だけ丸投げして現場を見に行くことすらしない建築家と同じなのかもしれない。

わたし自身も、とある仕事の中でエンジニアとのコミュニケーションがうまくできず、苦い経験をしたことがある。

デザインから実装フェーズになって、デザインの意図とずれた状態でリリースされてしまい、施策としても微妙な結果に終わってしまったのだ。

これは、明らかにデザイナーとエンジニアのコミュニケーション不足によるものだ。

とはいえ、これらの問題は「必ずこうすべき」というものでもなく、突き詰めればお互いの信頼関係次第でどうとでもなる。

信頼関係が既にできあがっていれば、側から見て丸投げのように見えても、本人たちは気持ちよく仕事をすることができる。

それは、何回も同じ現場で仕事をすることでお互いのことが理解でき、いつもの感じねと暗黙の共通認識ができているからだ。

だから、丸投げと感じるかどうか、無責任かどうかは外野が決めることでもないのだ。

そんなわけで、わたしが今までUIデザイナーとしてやってきたことは、UIデザインではなく「青写真を描くこと」だと気づいた時には衝撃を受けたものであった。

しかし、それでも重要なことには変わりない。

理想像としてのデザインを描いたら、その青写真を見ながら、どうやって実現していくのかを一緒に議論していきたい。

その先に、良いものづくりがあると信じている。