デザインのロジックについて、たまたま同じ日に、次の2つのツイートを見かけて興味深かった。
「なぜこのようなデザインになったのか」というロジックを説明できないデザイナーは意外と多い。そのほとんどがデザインを感覚でやってしまっているから。そんな事ができるのは一部のデザインモンスターだけ。自分自身に「なぜ」と何回も問えるデザイナーこそが、今後も選ばれていくものだと思います。
— 上司ニシグチ (@jyoshi_n) 2020年11月15日
特に学生や駆け出しのデザイナー諸氏は勘違いしないでほしい。
— takehiro_kawase (@tkhr_kws) 2020年11月15日
デザインにおいてロジックは絶対正義ではない。
むしろ、ロジカルに説明できない魅力を宿らせることがデザイナーの使命と言って良い。
ロジカルなデザイナーは生きやすいが、ロジックを超越しないデザイナーには魅力がない。
これらは、文脈の異なるツイートなので、対立概念ではない。どちらも正しいとわたしは思う。
ロジックは大切だ。しかし、ロジック至上主義に陥ってもいけない。このバランス感は、とても難しい。
昨今では、デザインのロジックについて、語られることが増えてきたように思う。おそらくは、ITの発展とリンクしている。
プログラマーがそうなったように、IT企業を手始めに、デザイナーも内製化が進んだ。
自社にデザイン組織を構えるようになったことで、デザイナーは、デザインの文脈を共有していないメンバーと協力することが増えたのだ。
すると、専門的なデザイン知識という共通のプロトコルがないため、コミュニケーションがうまくいかない。それを埋めるのが、ロジックというわけだ。
そんなわけで、「どうしてそのようなデザインにしたのか」をしっかりと伝えられるスキルが、より重要性を増した。
ロジックを重視する流れは、さらに加速していき、中にはロジック至上主義とも言える流派も見受けられるようになった。
デザインは全てロジカルに設計されるもので、逆に言えば、ロジックを説明できないデザインは駄目という極論である。
こうした考え方を持つ人が、デザイナーにも、デザイナーではない人の中にも増えたように思う。
わたしはというと、デザイナーをしていた頃は、「ロジカルなデザインをする」と周囲に言われることが多かった気がする。
これは後天的に身につけたもので、新卒で入ったシステム開発会社で、あまりにもデザインの意図が周囲に伝わらず、悔しい思いをしたことがきっかけになっている。
わたしは、企画の意図を理解し、明確なターゲット像を持ってデザインしているのに、ただの装飾の話だと見られていたり、ユーザーではなく決裁者の好みで要件が変わってしまう。
なぜ、こんなにもデザインが理解されないのだろう。そして、それを突破できないわたしの実力の無さにも悔しさを覚えた。
そんなある日、エンジニアの本棚の中に、「インタフェースデザインの教科書」という一冊を見つけた。
オライリーが出版している本で、それまではプログラミングに関する本しか売っていないイメージがあったので、意外だと思った記憶がある。
UIデザインに関するテクニックが言語化されてまとめられており、その知識を活かして上司に説明してみたら、うまく納得してもらえた。それが成功体験になった。
さらに場数を踏んで、デザインにおいて「なぜそうしたのか。あるいは、なぜそうしなかったのか」を伝えることは得意になった。
気付くと、周りから「ロジカルなデザインをする人」だと思われるようになっていた。
しかしながら、わたしは自身のことを、ロジカルなデザインをする人だと自認していない。なぜならば、逆の工程でデザインしているからだ。
ロジカルなデザインに見られるのは、デザインにロジックを付随して、ステークホルダーに伝えているからに過ぎない。
実際には、感覚的にアウトプットを行った後で、ロジックを後から付け足しているのである。結果として、周りのからは、それはロジカルにデザインされたものと認識される。
なぜ、そんなことをする必要があったのか。前述のように、プロトコルが違うので、デザイナーの理屈をそのまま伝えたのでは突破できないからだ。そのために、ロジックを用いる必要があった。
だから、時々わたしは、自分のデザインがひどく詐欺的であるように思うことがあった。ロジックなど一切用いずに、ビジュアルの力だけで殴るようなアプローチができれば、どんなに良いだろうか。
ステークホルダーとの間に、圧倒的な信頼関係が築けていて、「あなたが作ったものならOK」となれば良いのだが、ほとんどの場合はそうじゃない。
わたしのセンスでデザインしたと言って、同僚のデザイナーなら、アウトプットから暗黙知を読み取ることができるかもしれない。まるで、プログラマーがソースコードから意図を読み解くように。しかし、そうでない人には無理だ。
だからといって、ロジックも完璧ではない。ロジックにした時点で、必ず抜け落ちるコンテキストが存在する。
ロジックを用いてデザインの正当性を証明したところで、そもそも演繹的に導き出したデザインではないので、正確にはステークホルダーのニーズを汲み取って都合の良いストーリーテリングをしているに過ぎない。
ここまで書いてふと思ったが、わたしはデザインについて、あらぬ幻想を持っているのだろうか。本当に優れたデザインであれば、説明など無くても相手を納得させられるのではないかと。
だから、デザインにロジックを用いて、仕事ではむしろそれを得意としながらも、どこか邪道であるかのような背徳感を抱いていると。
説明なしに、良いものであると納得させる。どうだろうか。芸術作品に関して、多くの人々の見方からも分かるように、それは期待できないように思う。
筆のタッチや光の描き方など、技巧的な部分を捉えられる人は、同じように技術の分かる人だけだ。
その他の人々にとっては、絵に込められたコンテキストと、それを含めたストーリーという名のロジックが重要視されているように思う。実際、大学でデザインを学んだわたしでさえもそうなのだから。
そんなわけで、デザインのロジックについて、わたしの考えは堂々巡りを繰り返した後に冒頭の結論に帰結する。
ロジックは大切だ。しかし、ロジック至上主義に陥ってもいけない。
ロジックは、簡潔で、明確で、気持ちの良いものだ。しかし、全てを説明することはできない。それを理解した上で、わたしたちはロジックを用いて相手の立場に寄り添い、コミュニケーションする。
おそらくこれは、デザイナーだけではなく、多くの職業で通ずるものと思っている。