六本木の21_21 DESIGN SIGHTで、『野生展』という展示を見てきました。
21_21 DESIGN SIGHTに行ったのは『そこまでやるか展』以来のことでしたが、今回の野生展は少し難解で、抽象的な内容だと感じました。
野生といえば、現代の高度な文明社会の中に生きるわたしたちは、すっかり野生感覚を失ってしまったかのように思えます。
しかし、人類の歴史全体から見ると、こうした文明社会になったのはたかだが数百年とつい最近のことに過ぎません。
わたしたちの中にも、鈍くなってしまっただけで、まだまだ野生の感覚は残っているはずなのです。(展示のタイトルにもある「まだ飼いならされていない心の領域」のように)
ロゴスと縁起
展示の中で最も印象に残ったのは、作品そのものはもちろんですが、「縁起」という言葉についてでした。
野生展では、博物学者・生物学者である「南方熊楠」の道具やメモなどが展示されていたのですが、その中で世界の関係性を表す言葉として「縁起」についての説明がありました。
わたしたちが生きている社会。特に西洋では、世界や身の回りの出来事に対して「ロゴス」の考え方が適用されます。
つまり、「こういう事があったから、そういう事が起こった」という因果関係で表す考え方です。
余談ですが、以前アドラー心理学の『嫌われる勇気』を読んだときも、フロイトによるトラウマの概念が、同様に「ロゴス」的な考え方を含んでいたように思えます。
例えば、彼が引きこもりになってしまったのは、過去にこんな辛い経験があったからだ…と。(アドラー心理学はこれを否定するものでしたが)
世界を表す縁起という概念
しかし南方熊楠は、こうしたロゴスだけでは、世界の様子を把握することはできないと言います。
それは、南方熊楠自身が山にこもって粘菌の研究を続ける中、生態系の複雑さに触れることで世界の複雑さを実感していたからに他なりません。
そこで持ち出されたのが、縁起という考え方です。
縁起は、ロゴスのような単純な因果関係ではなく、ありとあらゆる出来事が関係することで世界が作り出されるのです。
実際には少しニュアンスが違う部分もあったかと思いますが、こうした縁起の説明を読んでとても印象に残りました。
よく考えてみると、例えば「縁起の良い」という言葉や状態が何を表しているのか、あまり理解していなかったように思います。
縁起が良いとは何か
野生展の中では「縁起」という概念が説明されており、「縁起が良い」という言葉が出てきたわけではありません。
しかし、南方熊楠の「縁起」の概念を聞くと、「縁起が良い」という状態がどういうものなのか少しだけイメージが付いた気がしました。
例えば、神社でのお参りや、日常生活の中での珍しい出来事に対して「縁起が良い」と表現することがあります。
ぱっと理屈だけで考えると、神社に行ったからといって、何か良いことが起こるとは限りません。
しかし、「縁起が良く」なることで、めぐりめぐって私たちの世界がより良いものになっていく。
そういうものとして、捉えることができるかもしれません。
野生の勘を取り戻す
前述してきた「縁起」という言葉もそうでしたが、今回の『野生展』で気付かされたのは、生活の中で意識しなくなった「つながり」についてでした。
それは、歴史という過去と現在のつながりでもあり、人間と自然とのつながりでもあり、あらゆるつながりを指しています。
現代のようなITにどっぷり浸った状態で、それも東京という都会で生活していると、身の回りのあらゆる事が目に見えているように実感することがあります。
情報はネット上に溢れていますし、あらゆる関係性が視覚化されています。
しかし、野生の勘を取り戻さなければ、確かに見えないものがあるのではないかと思いました。
おわりに
ここまで書いて、展示の感想のつもりが、作品についての感想を全く書いていないことに気がつきました。
もちろん作品は素晴らしかったのですが、作品を通してわたしたちに訴えかける内容が、とても印象に残るものだったと思います。
あなたも、ぜひ「野生」に思いを馳せるべく、ぜひ行ってみてください。